・序章→http://gurux2maigo.blog116.fc2.com/blog-entry-3241.html
・新卒期→http://gurux2maigo.blog116.fc2.com/blog-entry-3242.html 上の記事の続きになります。 仕事をはじめて3年が経った頃。 新規コンテンツのリリースにも関わらせてもらって シナリオをはじめとする、お客様に提供するコンテンツ部分の管理を ある程度任せてもらえるところまで成長しました。 アシスタントとしては充分な実力を付けたといっても 差し支えのない状況だったかなと思います。 (当時、その自覚はなかったですがw) ただ、私が緩やかに、自分を成長させることに一生懸命な間 部内の状況は着々と悪くなっていきました。 このあたりの原因や詳細については割愛しますが 「いいものを作りたい!」という気持ちが強い人ほど 会社を離れるような結果となり、 私がそこまで一緒にお仕事をしていた二人の先輩もまた 退社という運びとなりました。 4年目の春のことでした。 先輩たちと一緒に作っていたコンテンツは忘れ形見のようで 途中で投げ出して他の人に任せるという選択ができなかった私は アシスタントからディレクターへと繰り上がることとなります。 加えて、この状況をなんとか打破したい当時の部長の思惑と 明らかな人手不足も手伝って これまでの制作方法にこだわらないチャレンジ案件のディレクターも 兼任する事態になっていました。 さあ、どうなるかといいますと… 当然、仕事が回りません\(^o^)/ ストレスなのかなんなのか…体調も芳しくなく 精神的にも追い詰められている様子が 日記からもうかがえます。 「状況や環境が悪かった」と言えばそれまでです。 実際、当時の私は、このまま会社に留まっても 私は何も生み出せないのではないかという思考になっていて 「私がしたかった仕事はこういうものじゃない!」って反抗していて これはもう転職するほかない!!! とまで思っていました。 当時の課長に「もう辞めたいです」と告白しました。 先輩たちがいなくなってから半年、 4年目の秋のことです。 ▼ちなみに当時の私、日記にこんな一言を残しています。 『ディレクター職は楽しいんだけど 自分が認められるよりも 作ったものを認められるほうが嬉しい私にとって 昇進なんてものは、目の前の人参には成り得ないのです (2015/9/11)』 オチを先に書くと 8年目のいまも私は同じ会社の同じ部署にいます。 冬、私が担当するタイトルはひとつに戻り、 かつ、別のディレクターがアサインされ 私はアシスタントディレクターに降格。 3年目と同じ仕事を4年目冬~5年目もやることになり これをディレクターとしての成長においては『停滞期』と称しますが 私のモチベーションはここでV字回復します。 そして、この4~5年目を今になって振り返れば ちゃんと、大きな気づきを得ていたわけです。 「今の私にできることなんて、たかが知れている」 自分の仕事や作るものにはプライドを持っていて 『先輩に恥じないものをリリースしなければ!』と自分に課していた分 あれもこれもそれもどれも、あきらめられなくて 必要以上の仕事を自分で抱え込んでいったものの いなくなってしまった先輩と同じレベルの仕事をできるわけもなく自己嫌悪。 夏休みの宿題を7月中に終わらせたいタイプの私。 終わらないタスクが積み重なり続けることが相当なストレスだったようです。 つまり、理想ばかりを追い求めて 実力がついてきていない現実から すっかり自信までも失っていたのです。 自分で判断できずにいた抱え込みすぎたタスクを取り除いてもらえば 自分のできる範囲の仕事が見えてきました。 そうして、これまで組んだことのなかったディレクターさんと 一緒に仕事をしていく中で少しずつ、新しい視点を得始めました。 「本当にこれは、今やらなければならない仕事なのか」と 疑うということです。 苦い思い出ばかりの4年目ですが、一応ディレクターとして 売上をはじめとした各種結果を把握するべきポジションにいたため 「この施策をやることで、どんな効果が見込めるのか」を予測できるだけの 地盤(知識と経験)を蓄えられたわけです。 それを踏まえてコンテンツを作るポジションへと戻ってみると 無駄とまでは言いませんが、細かい部分に気を取られて 時間を上手に使えていない事実を認識します。 「今この状況でできる最善策を取る」ということは 場合によっては、妥協したり、あきらめることです。 それが4年目の私にはできなかった。 それがとても悪いことのように思えていた。 けれど、4年目の経験を経たことで 根拠を伴った適切な取捨選択が ようやくできるようになってくるのです。 まとめると、停滞期の学びは 「時にあきらめることも必要」という なんともネガティブなものになるのですが(´・ω・`) このあと、ちゃんともう一段階変革があるので 『転換期』までお待ちいただければと思います。 *** ここからはオマケ。 転職を考えながらも結局、この会社に留まった大きな理由は 私がどこまでも安定を求めている人間だからです。 当時の課長はいま部長になっていますが 私のSOSを真剣に受け取って対策してくれた恩を感じるのももちろんのこと 「それだけ私は大事にされているんだ」と思えたのがとても大きいです。 加えて、当社、福利厚生もかなり良いので 新しい場所での挑戦よりも、多少停滞したとしても ストレスのない、安定が約束された環境を私は選びました。 その頃から、子どもは欲しいな~とぼんやり考えていたのも大きくて 子どもを育てながら第一線でバリバリ仕事をするイメージは あんまりわかなかったんですよね(笑)。私、体力なくて虚弱ですし。 なので、仕事とプライベートのバランスだったり 5年後、10年後…と考えたうえでの選択だったのでした。 ゆっくり産前休暇をもらって、ひまを持て余してもいますけど(笑) このときちゃんと、 そういう未来のことも含めて考えておいてよかったと思います。 人生設計、大事! |
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