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私事ではございますがご報告です。
🌸おなかに赤ちゃんがいます🌸
6ヶ月目に入って、少しお腹が目立ってきました。
8月半ば頃出産の予定です。

新卒で入ってきた後輩に感化されたのももちろんですが
自分の社会人生活を振り返っているのは
これが大きな理由です。

ということで、追記は長い長い自分語りです。
長いうえに脈絡もないです。
(お仕事で関わりのある人にも見られていいように
書いたものを転載)
クリスマス前あたりからガタガタっと体調を崩して、そこから2月いっぱいは出社もなかなかままならず…
結果として仕事は1ヵ月も遅れてしまい、また本来私がやるはずだったものを肩代わりしてもらったりと、
関係各位のみなさまにはご迷惑とご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。
ただ、一度任せてもらえた仕事は手放すことなく
遅れはありながらも担当を続けられたのは、ひとえにみなさまのおかげだと大変感謝しております。

幼少期から絵本を読むのと人形遊びの好きな子どもでした。
空想は私にとって、周囲の人たちとつながるためのコミュニケーションツールの一種でした。
(これが私の仕事や生き方の根本になっています)

小学4年生だったと思うのですが、国語の授業でリレー小説を書きました。
たまたまそのとき席が近かった男女混合4人グループで、お話を書いて回していく授業でした。
このとき同じグループの子たちに「すごいね!」「おもしろい!」と言ってもらえたのが、夢の始まりで。
普段本なんて読まないよって子が「どうしよう!?どうしたら面白くなる!?」みたいに頼ってくれたのも相当嬉しくて、
空想少女は、作る側の大人になりたいと願ったのです。

私はつくづく環境や人に恵まれていて、
例えば、(この話をするといつも信じられないという反応をもらうのですが)
中学3年生のときのクラスはとくに仲が良くて、秋以降、卒業式まで女子15名弱全員で交換ノートを回していたんです。
半月に一回ペースで回ってくる、情報量過多のノートで律儀に全員分お返事書いて回してくれる優しい世界でした。

恋の話、進路の話、好きなアイドル…と多感な時期の多感な話題が続く中で
私は動いて喋って、目と口からビームが出るハニワの四コマ漫画を描いていた記憶があります。
(いつ思い返しても「よくそんなもの描こうと思ったな当時の私…」ってひっくり返りそうになる…)
これもまた「かわいいw」「ウケるw」とわりと好意的に受け取ってもらえまして…
卒業のタイミングでも「夢を叶えてね!」ってたくさんの応援の言葉をもらえたことを覚えています。

私にとって夢を語ることや空想することが恥ずかしくないのって、このあたりの経験がやっぱり大きくて
ただ同じ年に同じ地域に生まれて暮らしてるだけの子どもたちが集まったとある町立中学校での
奇跡みたいな本当の話。

(補足。そもそもこのノートが登場したきっかけって
勉強合宿と呼ばれる泊まり込みの行事で、宿泊施設がクラス女子ひと部屋に収容されてて
夜中までおしゃべりしてたら全員揃って先生たちに怒られたから…なはず。
真面目だったり控えめだった子たちは怒られたのはとばっちりでしかないんだけど、
一方で自分から進んで道を外れる勇気がなかったわけだからすごく新鮮な経験だったし、
巻き込んじゃった側の子たちもそれで「あ、この子たちと壁作んなくてもいいんだな」「てか意外と話通じるなw」ってなったんだと思う。
みんなが素直に「ごめんね」「大丈夫だよ」って言い合えるクラスだった)

何が言いたいかというと。
校則違反なんてとんでもない!って模範的な真面目優等生だった私が(別にオシャレに興味なくて破る理由が見当たらなかっただけですが…当時の写真軒並み冴えない外見してます…)
毎回風紀検査で呼び出されちゃうタイプの女の子たち(田舎なのでそう派手ではなかったものの、やっぱり私から見たらキラキラしていて、話しかけるの相当勇気がいった)に、
「続き楽しみ♪」「(本名)ちゃんなら夢を叶えられるよ!」って
社交辞令でも言ってもらえたのは本当に嬉しかったんだよ…。

高校進学後は学歴のフィルターが否応なしに含まれたコミュニティになるため
自分の趣味嗜好に見合った友人をぐっと作りやりやすくなりました。
この頃仲良くなった人たちとは今でも交流があるんですけど、
当時eメールで延々と妄想を書き連ねた長文を受け取ってくれていた有り難い人たちで、ですね。
(なおこのメールは10年後に親友の手によって、バックアップ取られていた分をすべて送り返されるという有り難くも羞恥に塗れる事態へと発展する)
頭の中に次々と浮かんでいく物語を表現する手段に、ゲームというコンテンツが加わったのもこの頃でした。

大学生。進路はやっぱりぶれなくて
芸術分野の講義もある学部学科に入学しました。
同じような志しを持ったクラスメイトたちに囲まれて、ここで作った交友関係が
今の私にわかりやすくつながっていったわけです。
GFFを頼ったゲーム企画塾、インターンシップ×2回、とても有り難かったです。

そして就職して、いま丸7年が経ちました。
4月から8年目に突入です。
夢を見始めてからそろそろ20年が経とうとしています。
20年もの間、ずっと追いかけ続けた夢を叶える場所が、今のお仕事です。

前置きがびっくりするほど長くなってしまいました…。
そういうわけで、今回生まれて初めて長期のお休みをいただく予定ですが
正直不安はあります。むしろ不安しかないです。
置いていかれたらどうしよう、とか。
仕事なくなったらどうしよう、とか。
好きなものから一時的であっても離れて私は気が狂わないだろうか、とか!

でも。
今回の妊娠は私が望んだことでした。

私に絵本を与え、少女漫画を与えたのは母です。
私にゲームを与え、自らものめりこむようにプレイしているのが父です。

人の話をまあびっくりするくらい聞かない人たちで(なお私も人のことを言えない)
押し付けて来なければ否定もしない両親でした。
そんな両親をはじめとして、親戚にも地域の人たちにも愛されて育った私は、そのせいか家族や家庭に対する憧れがとても強く、
数年後、数十年後の自分へ想いを馳せたときには必ず子どもと一緒にいる姿が浮かんできます。

そして夫の存在は本当に大きいです。
少し遡りますが、就職して実家を出たあとに、それだけ愛されて育った私は『拠点』がなければ自分は潰れてしまうのだとハッとしました。
(生活能力がないというのも死活問題でした/苦笑)
不自由さはあっても、『ただいま』と言える場所が欲しかった。
私にとって家族とはそんな存在です。

この年齢になるまでに(気づけば担当コンテンツのヒロイン設定年齢に追いつき、そして追い越そうとしている事実)
選択を迫られる瞬間は多々ありました。
けれどどうしても私には仕事と家庭を同じ天秤に乗せることが違和感でしかなくて
どちらも私にとって捨てられないものだったからこそ
できるかぎりどちらも取りたいし
どちらも取れる道を探していて
そのためなら努力も苦じゃないようです。

繰り返しますが、いつも味方になってくれるみなさまには感謝してもし尽くせません。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

つわりでふせってた期間中、もう何をするにもしんどくて
不安ばっかり蓄積していく一方だったんですけど
自分の考えを改めて見つめ直すいい時間にもなりましたし
自分で望んで、自分で選択した結果だと思うことで心を支えている部分も正直あります。
意思表示と忘備録も兼ねていまこのタイミングで書かせていただきました。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

今もまだ貧血の治療継続中で朝起きられなかったり人混みに酔ったりエトセトラしていて
正直余裕があるとは言えないので、申し訳ありませんが、キャリアや子育てに対する叱咤激励・アドバイスその他は謹んでご遠慮させていただけますと幸いです。
(必要に応じて個別にご相談させていただきます)
【2019/04/03 20:32 】
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