元々創作活動が好きで
ゲーム会社志望だった私。 福岡県出身でGFFの恩恵を最大限に受けまして https://www.gff.jp/ 大学の勉強とは別に、現場の空気を吸わせてもらったことは とても有意義な時間だったと思っています。 ※同じくらい、大学時代という時間を持て余すほどの自由と余白、 そこで作った人脈も私にとってとても価値があるものだったので 大学進学もしていてよかったなと思います。 (大卒じゃなかったら今の会社入社できなかったし) シナリオライターあるいは シナリオに関わるポジションを希望していましたが 未経験でそう簡単に事が運ぶはずがないともわかっていて… 最近になって思い返してみると、私の目標って 「こういうゲームが作りたい」というよりも 「ゲーム」というコンテンツに関わりたいって気持ちが大きいので まずは入社して、その後はどんな仕事でも楽しくやろう!と そんな気持ちで入社しました。 コンシューマ志望だったところが 携帯向けゲームに変わったところこそあれ 念願だった、ゲームに携わるお仕事ができると知って 新卒1年目の私のモチベーションと理想は 高すぎるほどに高かったのです。 指導者の先輩をはじめOJTのみなさまにも恵まれまして 本当に学びの多い1年だったと思います。 ※余談がてら半年後研修時の記事も貼っときますね。 http://gurux2maigo.blog116.fc2.com/blog-entry-3095.html そうして、ゲームディレクター見習い(アシスタント)から お仕事を始めたわけです。 ゲームディレクターって、総監督のような立ち位置で ゲームのクオリティに対する責任を背負う人、です。 もちろん見習いにそんな権限はありませんが… 与えられた業務を完遂するために、 協力してくれるチームメンバーの方へ宛てて 「自分はこうしたい」という意志を伝えるのが重要になってきます。 指導者の先輩の裁量もあり 「実践投入が早かった」と、当時の上長にそういわれた時には 「もっともっと早く役に立てるように頑張ろう!」と浮かれたものです。 が。まあ、速攻で壁にぶち当たりました。 そしてこれが、私が新卒のときに一番大きかった 気づきであり学びでもあるのですが。 「誰も私の話なんざ聞いてくれやしない!」 orz 今になって振り返ると まあそれもそうか…って納得するんですけれども (理由は後述します。) 当時の私、相当困って、相当凹んでいたようです。 日記見てるとまあ悲惨(笑)。 先輩はどうして、こんな怖い人たち (同じチームで働く人たちなのに、当時は本気でそう思ってた)と 仲良くできるんだろう(((;ω;)))と考え始めたら ちょうどそのとき、私を取り囲む先輩たちが軒並み コミュ力の高い人たちだったんですよね。 「あ…やっぱり私、チームで仕事するの向いてない( ;∀;)」 「だって私、コミュ障だもん…」
元々苦手だって自覚はしていたんです。
「誰かに頼むために頭を下げるくらいなら自分が無理してでもやる」 みたいな性格はもう記憶を掘り起こせば小学生の頃からで その結果、私と他のスタッフさんの間に先輩が入らないと 仕事が回らないみたいな状況にも陥って 「足手まとい…orz」と、まあ自分で自分に絶望してました。 かといって、なまじ自分の希望が叶った仕事なだけに そこであきらめるという選択が出てくるはずもなく…。 そこで、指導者の先輩におもむろに 会議室へ呼び出されるわけです。 当時のセリフを正確には思い出せないので あくまで意訳ではありますが… 「これまでの君が、コミュ障なのはわかった。 そういう性格なのも理解した。 でも、それは君の夢を蔑ろにしてまで 大事に持ち続けなければならないの?」 「私は、私が作りたいものをあきらめないために それが必要だと思ったら、気持ちに反することでもやるよ」 これ、めちゃくちゃ響きました。 天秤にかけるまでもなかった。 私は私の夢のほうが大事で、 「これが私」っていう、ここまでの人生で作り上げた私像 一旦捨てよう。 って思いました。 変わらないと駄目だって、ハッとしたんですよね。 驚くほど素直に受け入れられたのは 先輩が言葉を選びながら、 大事な業務の時間を割いてでも ちゃんと時間をかけて私に伝えてくれたからだと思います。 (たぶんその日、2時間くらい二人で話したと思う) ということで。 指導者+メンターのお二人のフィードバックもいただきつつ。 話を聞いてもらえない原因、 これをまず、大きくふたつに分けました。 ひとつ。 「指示の出し方(伝え方)が非常に自分本位であること」 自覚のあったとおり「コミュ障」が発端ですが 自分本位って何かというと… 私、ドッジボール並みに 自分の気持ちばかりをぶつけていたんですね。 伝わっていないと焦れば焦るほど顕著で。 (その性格を把握した先輩には 「言いたいことまとまったらまた来なさい」と席に戻されたこともあったよ!) だから、「伝え方を考えましょう」と言われました。 「君は視野が狭い」とも言われた。 コミュニケーションが上手な人って 話すのが上手なんじゃないんですよ。 聞くのが上手なんですよ。 相手が何と言われたら嬉しいか、逆に嫌がるのかを知っている。 それだけじゃなくて、 相手が普段見ているもの、生活環境、興味の対象を知っていると おのずと、何を渡せば考えがより齟齬なく伝わるのかを選べる。 ああ、だから先輩たちは チームの人たちと他愛もないやりとりをするんだなと気づきました。 おしゃべりが好きだからとか、少しでも楽しく仕事したいとか そういうのももちろんあるのかもしれないけど… コミュニケーションも自分が作りたいものを実現するうえで 避けて通れない仕事なんですね。 努力してるんだってわかって 「私、コミュ障だもん…」なんて言ってる自分が あまりに情けなくなりました。そりゃあ自分の世界に生きて 自分の好きなものだけ追って、自分の意見だけ押し通そうとすれば 視野狭いって言われるわ…。 ということで、心を改めました。 「まず聞く!」って意識して日々を送りました。 先輩たちとのちょっとした雑談にも 全部耳を澄まして。 そしてこれ、話聞いてもらえない問題の原因ふたつめにも 関わってくるんですが… ふたつめ。 「なんの実績もない1年目の小娘を信用するはずがないこと」 \そりゃそうだ!/ 当たり前過ぎる当たり前の話です。 自分の仕事に誇りを持っている人を相手にするのなら余計に。 そんな何も持たない私が 「一緒に仕事してあげてもいいかな」と思ってもらうためには 「可愛い後輩」にならないといけなかった。 「あなたの仕事を尊敬しています」「あなたにとても興味があります」 これ、日々のコミュニケーション怠ってた私は 気づいた時には相当な致命傷を負っていたというわけです。 自業自得でしかないね…! ただ、そんなことは重々承知していた先輩は 私が入社した当初から、私に武器を持たせようとしてくれていた。 私が後々困らないようにと考えてくれていました。 (入社して半年経たない頃にその旨も説明してくれていたんですけど 当時は全然ピンと来てなかった…今思い返すと 先輩本当にすごい指導者だったんだなって平伏する想いです) それが、シナリオに関わる業務でした。 萌えるシナリオとは何か、先輩が作りたい世界観はどんなものなのかを 徹底的に叩き込まれました。 (それがまた、伝え方の良いお手本にもなっていて、 ただただ先輩すごいとしか言えない) もちろん、私も努力した。 先輩がいいというものは全部読んだし、 当時社内で一番競合他社のゲームに詳しいのは私だったって自負がある。 それ以外にも少女漫画も流行りのコンテンツも、なんでも手を出して インプットした。 社内会議で飛び交う専門用語は早々に覚えたし 会議の議事録は毎週取ってひとつも聞き逃さないようにした。 HTMLも、発注その他事務手続きも、 いつ何が武器になるかわからなくて貪欲に手に入れた。 (元々なんに対しても興味を持つタイプだったので、 それが功を奏したのか、あんまり苦ではなくて 「努力した」という感覚は当時あまりなかったんだけど 今思うと、それもとても大事なことだったんだなあと自分を褒めたい) こうして私は、気づきに対してどうにかこうにか対抗策を講じながら 1年目を終えたのでした。 *** 今の私のディレクター像を構築しているのは 間違いなく、1年目のこの気づきで あれだけ「視野が狭い」と言われていた私は今 「多角的な視点から意見を述べられる」と褒められるし そのおかげで「あなたの話はわかりやすいし説得力がある」と 意志を通せるようにもなってきた。 あのときの「変わらなきゃ!」って決断をしていてよかったなと 心からそう思います。 停滞期へ続く。。 (これ、今日中に書き終わらないな!!!笑) |
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